IE9ピン留め
2011年 12月 23日
Episode 4: 「切望のクリスマス」

もうクリスマスかと思うと改めて月日の経つ早さを想います。クリスマスというのは毎年決まった時に決まったことをする恒例行事のように思えて、不思議なことにいつもワクワクしながら待ち遠しく感じてしまうところがあります。

キリストの誕生に関する聖書の箇所を見てみると、キリストのお生まれを待ち望んでいた当時の人々の様子が生き生きと描かれています。自分の財産や仕事はもちろん、中には自分の命の危険をも承知でその誕生に立ち会うために行動した人々についても書かれていました。ただ待っていたというのではなく、「切望していた」と言った方がぴったりくるかも知れません。

ふと、今何かを心から切に待ち望んでいることはあるだろうかと思いました。「待たないで済むことこそが幸い」と豪語するように到来する新しいテクノロジーやサービスによって、もはや列に並んで順番を待つことすらなくなって来つつある社会において「切望」とはすでに死語になっているのかも知れません。

先日、私達の娘がお世話になっているホームデイケアの方に聞いたのですが、朝預けられた娘は午後になると玄関の方を意識しながら遊んでいるようです。それは呼び鈴を鳴らし迎えに来てくれるママの胸に飛び込んで行ける体勢を整えつつママのことを切望しているからなのでしょう。

20年も近く前の話ですが、徴兵で韓国の軍隊に入っていた時のことを思い出しました。色々な制限によって全く自由がなかったその灰色の思い出ともいうべき3年間、私は自分の日課の一つとして小さな手帳のカレンダーに毎日バツ印を付けていました。束縛の中にあっても、除隊の日、自由になる日を切望することによって希望を持って苦しい日々を耐え抜くことが出来たのではないかと思います。

自然災害や未曾有の経済危機によって世界全体が打ちひしがれた今年であっても変わることなく新しいクリスマスがやって来ました。どのような一年であったとしても理想の明日を切望する希望を持つことができるということを、今年もクリスマスを通して思い起こしたいと思います。

# by wjbc | 2011-12-23 04:43 | Comments(0)
2011年 12月 09日
Episode 3: 「育児で育てられる親」

私たち、日韓夫婦にとっての初めての子育てが始まり、早1年と5ヶ月が過ぎようとしています。一般的に「子育て」というと、親が子どもを苦労して育てるといったイメージがありますが、我が家では親もまた子どもに育てられているような気がします。
その証拠に、子どもが生まれるまでは目覚まし時計を使っても「目覚めること」において極めて無力であった家内が、今では、真夜中に娘が立てるちょっとした音にも反応してバネのように起きられるようになりました。つくづく「母性」というものの素晴らしさに感嘆してしまいます。

私はといえば、 実は娘が生まれる前までは、子どもとどう接すればいいのかがよく分からなくて、近所の子どもと目が合うだけでも気まずく感じてしまいがちでした。それが今では外で赤ちゃんを見かけると、赤ちゃんやお母さんに自然と話しかけられるようになりました。今思うと、娘が生まれる前の自分は随分と未熟な大人だったのだと恥ずかしくなります。

 おそらく他の赤ちゃんも同じだろうと思いますが、娘は与えられたおもちゃよりもメガネや携帯電話など大人の所持品で遊ぶのが好きです。親が絶対に触ってほしくない物ほど手に入れたい欲求は強くなるようです。遊んでほしくない物は、娘の手が届かないソファやテーブルの上に置くようにしていました。娘が一生懸命にソファに登ろうとしてもことごとく失敗に終わるのを見ながら、「ここでよし」と安心していたものです。

 それがある日、その絶え間ない挑戦が実を結んで、ついに一人でソファに登った娘のその瞬間を私は目撃しました。もはやソファは安全な場所ではなくなり、「登ろうとして落ちたら危ない」と教え込むほかないと一生懸命に言って聞かせたりもします。しかし、自分が「したい」ことは、親の意に反してもやってしまうものです。案の上、転んで泣いている時もあります。

 娘は親の規制や制限をものともせず、常に自己実現を果たすために外へと向かって飛び出して行くのです。娘の自由意志には、決して諦めない「勇気」と同時に、親にダメと言われてもチャンスさえあれば実行するぞという「愚かさ」もあります。しかし、未熟な親に成長する機会を与え、「勇気」と「愚かさ」の混在という普遍的な人間の姿の理解を深めてくれる我が娘に、今日も夫婦揃って育ててもらっている気がします。

# by wjbc | 2011-12-09 15:39 | Comments(0)
2011年 11月 01日
Episode 2: 「リアルタイム学習」

先日うちの教会に通っておられる方から、「先生、来週説教される聖書の箇所を予め教えてもらえませんか。前もって読んで予習をしておきたくて...」というリクエスト受けて、少々困ってしまいました。正直なところ、そんなに真面目な性格ではなく、前日ギリギリにならないと決まらないのです。それで困ってしまったのも理由の一つですが、主な理由は「予習」がもたらすネガティヴな影響を懸念したのです。

確かに学校の勉強で「予習」というと非常にポジティブな響きがあります。しかし、それがただ単に自分が経験していないものを、誰かの意見を通して先に知るという意味での「予習」であれば、先入観や偏見を身につけるための「予習」で終わってしまう時もあるのではないでしょうか。

どこかで聞いた話ですが、ヨーロッパのある国では映画劇場の外にチケットを求めて列を作っている人々を対象に“闇チケットの売人”ならぬ、“闇情報の提供者”(?)がいるそうです。例えば、サスペンス・スリラーものなどの映画を観る前の観客に近づいては、「誰が犯人で、どういう結末なるかを聞きたくなければ、小銭をくれ」という何とも面白くスケールの小さな犯罪なのです。

私達は、映画、ドラマ、小説のような物語に関しては、どんなに長い時間をかけてでも、お金を払ってでも、直接体験したいという欲求があります。しかし、実際に自分の人生に関わる大事な事柄に関しては、わざわざ自分で体験することなしに、むしろ誰かの意見をそのまま鵜呑みにして済ませた方が楽だと、思うようなところがある気がします。

特にロサンゼルスのような多人種多民族のメルティング・ポットに生きていると、人種や民族、文化や価値観の違い等に関して「予習」で済ましてはだめだなとつくづく思うことがあります。むしろ、いい加減な「予習」で知っていたことが仇となって、逆に相手を理解することへの妨げになることもしばしばです。

「みんなそういっている」といった類いの通念を学習する「予習」ではなく、 「自分がすでに知っている」と思っていることに対しても、もう一度よく見て感じて、新しい発見をする「リアルタイム学習」が必要ではないでしょうか。

# by wjbc | 2011-11-01 09:40 | Comments(0)
2011年 11月 01日
 Episode 1: 「ハーフ」 or 「ダブル」


(先月から日刊サンにてコラムを書かせていただいています。「様々な違いを乗り越えて行こう」ということをテーマに毎月の最後の土曜日に載せていただいています。)

現在1歳と2ヶ月になる我が娘は、日本人の母親と韓国人の父親の間に生まれた子どもとは思えないほど色白です。先日定期検診に行った時のこと。妻が娘を抱いて順番を待っていると、隣で待っていた日本人のお母さんが娘を見て「あら、白い!ハーフですか?」と。妻はちょっと言葉に詰まりながらも「いいえ」と答えたそうです。韓国人と日本人の子供だから確かにハーフだけれども、その質問の中に省略されていた「白人との」という人種的な側面からいうとハーフではないわけですね。

そもそも日本人と外国人の親の間に生まれた子供のことをなぜハーフというようになったのでしょう? 「ハーフ・半分」という言葉そのものの持つイメージは、中途半端、不完全、不足といったようなネガティブなものばかりに思えます。

けれど、実際には、 カレーライス、クッキー&クリーム、ジントニックのように違う二つの成分や性質のものが一つになって、さらに魅力的になったケースが、私達の周りに数え切れないほどあります。二つの要素が一つとなってそれぞれが別々だった時より二倍以上の力を発揮することからいうと、文化や人種が異なる親の元で生まれた子供を「ハーフ」ではなく「ダブル」と呼んでもよいのではないでしょうか。

二倍や二重などを意味する「ダブル」は、この文脈において二つのルーツを受け継ぎあわせ持っている人のことです。二つが合わさってそれぞれが弱まり、半減して一つに収まったような様子ともとれる「ハーフ」とは違って、「ダブル」は両方の良さを損なうことなく互いが引き立てられ、生き生きと両立しているポジティブなイメージなのです。たかが呼び名ひとつであっても、意識的にポジティブな言葉を選んで使うことで私達の意識に及ぼすポジティブな影響はいうまでもありませんし、ましてやそう呼ばれる子供達にとってはなおさらだと思います。

たまたま日韓ダブルの娘がいる我が家の他にも私達のコミュニティーには、日米ダブルをはじめ多様なダブルの子供を持つ家庭がたくさん存在することだろうと思います。「ハーフ」を「ダブル」と言い換えるだけで、互いのルーツをリスペクトし、祝い、喜ぶことができてしまうこのムーブメントに、一人でも多くの人にぜひとも仲間として参加して欲しいものです!

# by wjbc | 2011-11-01 09:21 | Comments(0)
2011年 05月 10日
絶望の中の希望 / 절망중의 희망

4月5日
仙台から夜行バスで東京入りし、その足で成田に向かった。なんという濃密な時間だったのだろう。たったの一週間の旅路がまるで一か月以上のように感じられる。空港行きのバスの窓から目に入る平凡な町並みを眺めていると、被災地でみた地獄絵がまるで夢のように思えてくる。

いや、やはり地獄は在った。無残にもなぎ倒されたかつての人間の住処を確かに見た。非情にも引き裂かれ押しつぶされた人々の叫び声を確かに聞いた。自然の猛威の前では何一つ成す術のない人間の脆さ、その不条理な現実、絶対的な絶望を確かに私は目の当たりにしたのだ。

しかし、それだけではなかった。そこには希望もあった。被災した者が自分を顧みず他の被災者のために救援活動に立ち上がる勇姿、被災者の中でも忘れ去られやすい弱者を助けようとするその優しい手、それらの希望ともいえる光を、私は民間団体の人々から確かに見ることができた。

来る4月30日にはUTBで私達が出会った民間団体についての特別番組が放送される。与えることで逆に与えられ心が喜びと希望に満たされて行く人々の姿をぜひ観ていただきたい。そして、暗闇の中に灯されたそれらの光を守るために、今度は私達が彼らを支援したいと願う。与えることで与えられる希望、勇気、喜びこそが日本を再建するための一番大切なものではないだろうか。


2011년 4월 5일
센다이에서 야행버스로 동경으로 돌아와 그 길로 나리타 공항으로 향했다. 너무도 농후한 시간이었다. 단 한주간의 여정이 마치 한달 이상처럼 느껴졌다. 공항행 버스의 창밖으로 보이는 평범한 풍경을 보고 있노라면, 수해지에서 본 지옥그림이 꿈과도 같이 느껴진다.

하지만 역시 지옥은 존재했다. 무참하게도 쓰려뜨려진 한때는 인간의 거처였던 건물들을 보았다. 비정하게도 찢겨져서 으깨어진 사람들의 비명을 확실이 듣을 수 있었다. 자연의 맹위 앞에서는 아무것도 할 수 없는 인간의 무력함, 그 부조리한 현실, 절대적인 절망을 내 두 눈으로 똑똑히 본것이다.

하지만 그것이 전부는 아니었다. 거기에는 희망 또한 있었다. 수해를 입은이가 자기자신은 아랑곳하지 하지 않고 다른 수해자들을 돕기위해 일어나는 용감한 모습, 수해자들 가운데서도 잊혀지기 쉬운 약자들을 도우려고 하는 착한 손길, 희망이라고 할 수있는 한줄기 빛을 필자는 민간단체의 한사람 한사람을 통해서 볼 수 있었다.

한일협회는 장기적이고 지속적인 모금운동을 통해서 이 두 민간단체를 지원해 간다. 암흑과 같은 절망속에서 생겨난 한줄기 희망이 지키지기 위해서는 우리 한사람 한사람의 지원을 꼭 필요로 한다. 주는 것으로 인해서 반대로 주워지는 희망과 용기 그리고 기쁨이야말로 일본의 수해민들뿐만이 아니라 지금의 우리에게도 꼭 필요한 것이 아닐까.

# by wjbc | 2011-05-10 06:27 | Comments(0)
2011年 05月 10日
傷ついた者と寄り添う者との連帯 / 상처입은 이와 그 아픔에 함께하는 이

4月4日
仙台市の繁華街を眺めている限り震災の傷跡は見えない。しかし、毎朝高速バスターミナルには大きなスーツケースを持った人々の長蛇の列ができる。放射能、頻発する余震への恐怖、その他それぞれの異なる理由を胸にみんな仙台を後にしているのだ。

しかし、そんな仙台に大震災直後からわざわざ通い始めた人がいる。東北被災者支援センターの片岡謁也牧師である。彼は会津若松教会の牧師業のかたわら、仙台に通って被災者支援に当たっている。センターでは震災後の救援において行政や民間から忘れられがちな高齢者、身体障害者、言葉の不自由な外国人労働者を対象に物資を届けた。

そして今では全国各地から来てくれた若いボランティア達が自転車で1時間をかけて荒浜という地域を支援している。そこには津波だけでなく、その後の盗難や詐欺などの被害にもあった高齢者の人々がいる。ボランティア達はそれぞれの家の中のヘドロを取り除くだけではない。傷ついた被災者の話しに耳を傾け、その心の傷にも優しく触れているのだ。

傷ついた者も寄り添う者もお互いが癒されて行く、新しい人間同士の関わりに触れたような気がした。


2011년 4월 4일
센다이시의 번화가를 보고 있는 한 지진이 남긴 상처는 찾아 볼수없다. 그러나 매일 아침 고속버스 터미날에는 커다란 여행용 트렁크를 가진이들이 장사진을 치고 있었다. 방사능, 빈발하는 여진의 공포, 그 밖에도 각각의 자기만의 이유를 가슴에 다들 센대이를 떠나고 있는 것이다.

하지만 그러한 센다이에 지진직후부터 일부러 왕래하기 시작한 사람이 있다. 동북수해자지원센터의 소장 카타오카 에츠야목사다. 그는 아이즈 와카마츠 지역에서 목회를 하고 월요일에는 차를 몰아 센다이로 향한다. 센터에서는 지진후 정부와 구제단체에게 잊혀져버리기 쉬운 노인, 신체장애자, 언어의 장벽을 가진 외국인 노동자등을 위해서 구원물자를 배부하기 시작했다. 그리고 지금은 전국각지에서 온 젊은 볼런티어들이 한시간이나 자전거를 달려서 아라하마라는 지역을 지원하고 있다.

그곳에는 쓰나미뿐만이 아니라 그후에 일어난 여러 도난과 사기등의 피해를 입은 수해민들이 있다. 볼런티어들의 일은 각 가옥을 뒤덮은 쓰나미의 침전물을 제거하는 것 뿐만이 아니다. 수해자들의 말에 귀를 기울이고 그 마음의 상처도 따뜻하게 어루만지고 있는 것이다.

상처입은 이와 그 아픔에 함께하는 이가 함께 치유되어 가는 사람과 사람의 새로운 관계를 느끼고 체험할 수 있었다.

# by wjbc | 2011-05-10 06:13 | Comments(0)
2011年 05月 10日
笑顔と勇気と希望 / 웃는 얼굴과 용기 그리고 희망

4月2日
8時間もバスに揺られて仙台市に着いたのは午後3時を少し回った頃だった。
迎えに来てくれたのは櫻井勇太君(23歳)である。彼の率いる「東日本大震災支援会」は、支援物資を調達して被災地の避難所に運んでいる。

彼は輸入車販売業を営んでいたが、震災によって商品である車が全て流された。これを機に、もっと大変な状況にいる被災者を支援しようと、自社のトラックに支援物資を積んで石巻、女川、名取市、気仙沼に出かけた。現在は会社のスタッフ、同業者、取引先からのボランティアなど8〜9人がチームを成して2、3台のトラックで救援活動にあたっている。

櫻井氏によると、被災地の奥に行けば未だに県庁が把握していない小さな避難所(5〜6人から50〜60人)が数多く孤立しているという。彼は自らの活動の理由を、「被災者達に笑顔と勇気と希望とを届けるために頑張っている」と答えた。

しかし彼と一緒に被災地を回った筆者は、もう一つの理由に気づいたような気がした。それは自分が誰かのために役に立っている、誰かに必要とされているという実感である。私達の生活の中で、自分は誰かに必要とされているという明確な実感はあるのだろうか。勇太君は笑顔と勇気と希望を被災者達に届けているのと同時にそれらをもらって帰って来ているのではないか。


2011년 4월 2일
8시간이나 걸려서 센다이시에 도착한 것은 오후 3시를 조금 넘은 시각이었다.
마중 나와 준 이는 사쿠라이 유타씨 (25세) 로 그가 이끄는 “동일본 대지진지원회”는 구원물자를 조달해서 수해지 각처로 나르고 있다.

지진이 났을때 그는 수입자동차 판매업체를 경영하고 있었고 쓰나미로 인해서 상품인 자동차가 모두 떠내려가 버렸다. 그는 그것을 계기로 자신보다 더 많은 피해를 입은 수해자들을 돕기 위해서 자사의 트럭에 구원물자를 이시노마키, 오나가와, 나토리시, 케센누마등 최악의 피해를 입은 수해지로 실어 나르기 시작했다.

현제는 자사직원, 거래처등의 볼런티어들로 조직된 8~9명이 한조를 이루어서 2~3 대에 트럭으로 구제활동을 전개하고 있다. 사쿠라이씨에 의하면, 수해지안으로 깊이 들어가면 아직 현청에서도 파악하지 못해 고립되있는 작은 피난소 (5,6명에서 50, 60명까지) 가 많이 있다고 한다.

그는 자신들의 활동의 이유를 “수해민들에게 웃는 얼굴과 용기, 그리고 희망을 전해주기 위해서” 라고 했다. 그러나 그들의 구제활동에 잠시 동참한 필자는, 또 하나의 이유가 있는 것 같이 느껴졌다. 그것은 자신이 누군가의 도움이 되고 있다는 확신이 아닐까 생각한다. 지금 우리들의 생활에 있어서 누군가가 자신을 절실하게 필요로하고 있다는 확실한 실감을 가질 수 있을까? 사쿠라이씨는 웃는 얼굴과 용기 그리고 희망을 수해민들에게 전해줌과 동시에 그것들을 자신도 얻어 돌아가고 있는것이 아닐까.

# by wjbc | 2011-05-10 06:06 | Comments(0)
2011年 05月 10日
一人の力は微力だ。でも無力ではない。/ 한사람의 힘은 미력할지 모르나 결코 무력하지는 않다.

3月31日
朝、かなり冷える。厚着で防寒し宿を出た。訪問したのは白百合女子大学の田嶋准教授。彼女は震災後、民間の救援活動家として活躍している。文学部のビルまで歩く間、キャンパスの池に長靴で入って掃除をしている用務員を見た。何となく、第一原発の作業中に足を被爆した作業員とオーバーラップする。平凡な日常をそのまま受け入れられないような空気が自分の中に確かにある。

田嶋准教授は、震災直後から救援物資の寄付を呼びかけ、それらをトラックなどで避難所に運んだ。NPOでもない彼女とそのボランティアはなぜ救援活動に直接参加して行ったのか。その理由として田嶋は「柔軟さを欠いた行政と大手人命救済団体の対応」だという。

震災発生直後、韓国から届いた数千ケースの水が検疫を通さないといけないという理由で未だにどこかの倉庫に眠っているという。また大手救済団体が集めた義援金は、被災者のために一番必要な時、必要なところで使われていないと彼女は嘆く。

行政や専門機関を待ち切れずに立ち上がった個人やグループによる救済活動について知ることができ、民間調査団の一人としても大いに励まされた。

2011년 3월 31일
동경의 아침은 상당히 추웠다. 하얀 입김을 내쉬며 도대체 동북지역 센다이는 얼마나 더 추울까 생각하며 민간 구제활동가인 시라유리여대의 다무라 준교수를 방문했다.

문학부 건물까지 걷던 중 켐퍼스 연못에 장화를 신고 들어가 청소하고 있는 한 관리인을 봤다. 무심코 다이이치 원전 복구 작업중 방사능에 다리가 노출된 작업원의 뉴스를 떠올렸다. 평범한 일상을 있는 그대로 받아드리지 못하는 어떤 긴장감이 내 안에 있음을 느꼈다.

다무라교수는 지진직후 각 기업으로부터 구원물자를 기부받아 그것들을 트럭에 실고 수해민피난소로 날랐다. 비영리단체도 아닌 그녀와 볼런티어들이 왜 직접 구조활동에 나서게 됬을까? 그 이유에 대해서 다무라교주는 “유연성이라고는 찿아볼수 없는 정부와 대규모 인명구조단체의 대응이라고 했다.”

지진직후 한국에서 보내온 수천케이스의 물이 검역을 통과해야 한다는 이유로 지금까지 어딘가의 창고에서 먼지를 쓰고 있다고 한다. 또한 대규모 구제단체로 보내진 성금은, 수해민이 제일 필요로 할때, 제일 필요로 하는 곳에 쓰여지지 않고 있다며 한탄했다.

정부나 전문기관이 해주길 기다리지 않고 스스로 행동한 개인이나 민간단체에 대해서 알게 되어, 민간조사단의 일원으로서 많은 용기를 얻었다.

# by wjbc | 2011-05-10 05:58 | Comments(0)
2011年 05月 10日
被災地へ / 수해지로

3月30日
LAXまでの車の中でふと思い出した。$40のチェックと共に手紙をくださったある韓国系の老夫婦のこと。そこには震える字で「日本の皆さんのために祈ります」とあった。また$20の義援金と共に「去年職を失って生活に困っています。これしかできません。日本のためにありがとうございます」と書かれた日本人男性からの手紙。

義援金は金額が多ければ良いわけではないことを学んだ。お金を送ってくれた一人一人の気持ちに背中を押されるように、日本行きの飛行機に乗り込んだ。

そして、成田に到着。空港の到着ロビーはがらがら状態。空港からリムジンバスに乗り東京へと向かう。原発の放射能漏れや計画停電などの様々な影響を受けているといわれる東京だが、街を行き交う人々を見ている限りでは大地震があったと思わせるものは何一つない。

宿に着いて荷を解くとスタッフのスーツケースから出てくる大量のボトルの水。放射能による水質汚染を気遣っているスタッフの家族たちが忍び込ませたのだろう。原発放射能漏れの現状に対する日本とアメリカの意識の温度差を感じる。


2011년 3월 30일
LAX로 차를 몰면서 언뜻 생각이 났다. 한 한인 노부부가 보내주신 “고통중에 있는 일본사람들을 위해서 기도합니다”라고 쓴 편지와 $40의 개인수표. 또 $20의 성금과 함께 “작년부터 직장을 잃고 생활이 힘들어 이정도 밖에 모금할 수 없습니다. 일본을 위해서 일해주셔서 감사합니다”라고 쓴 한 일본계 남성으로부터 온 편지.

성금은 결코 금액이 문제가 아니라는 것을 깨닳았다. 성금을 보내온 한사람 한사람의 성의를 되새기며 일본행 비행기에 올라탔다.

그리고 나리타에 도착. 이렇게 텅텅 비어있는 공항 도착로비를 보기는 처음이다. 눈 깜짝할 사이에 공항을 빠져나와 리무진버스로 동경으로 향했다. 원전의 방사능누출과 계획정전등 아직까지도 지진의 여파를 받고있다고 들 말하는 동경. 하지만 거리를 오가는 이들을 보고 있는 한 대참사를 연상케 하는것은 아무것도 없었다.

숙소에 도착해서 짐을 풀자 스탭들의 트렁크에서 쏫아져 나오는 플래스틱 물병. 방사능누출로 인한 수질오염을 걱정한 가족들의 깜짝 선물이었다. 원전방사능누출에 대한 일본과 미국의 의식의 차이를 다시금 느꼈다.

# by wjbc | 2011-05-10 05:53 | Comments(0)
2011年 05月 10日
日韓協会の被災地調査団/한일협회 지진지역 조사단

東日本大震災の被災者の方々に最大限に役立てるために、義援金はどうあるべきか。日韓協会は、この問いを常に念頭に置きながら募金運動を続けて来た。

そして3月29日、支援活動の現状把握を兼ねて、義援金を最大限に役立てるためにはどの民間団体を支援するべきかを調査するために、日韓協会の「被災地調査団」が日本に派遣された。以下の記録は、その調査レポートの一部である。

한-일협회는 일본대지진 수해민들을 위해서 모아진 성금이 실제로 수해민들을 위해서 쓰여지기 위해서는 어느 인명구조단체를 지원해야 할 것인가를 숙고하며 모금운동을 진행해왔다.

그리고 3월 30일, 수수료를 징수하는 대규모 인명구조단체가 아니고 일본수해지에서 구제활동에 여념이 없는 지역 민간단체에게 직접 성금을 전달하고 계속적인 지원을 약속하기 위해서 한일협회 대표단이 일본으로 파견되었다. 이하는 한일협회 대표단의 기행문의 일부이다.

# by wjbc | 2011-05-10 05:39 | Comments(0)


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